身近な隣国サハリンへ
当社未踏の目的地「Orkunai」旧日本名:沃内(ヨクナイ)への渡航申し込み。
過去幾度となく、この「沃内」手前の地、西海岸の行き止まり「西柵端」を迂回路へと通過していたが、これより先に人が住んでいようとは思いも巡らせなかった。峻険な海岸線が幾重にも折り重なりその断崖の上には針葉樹林帯がどこまでも続く千古不伐を呈する原始林のような世界が広がっていたからだ。
「沃内」。
旧国境線を間近にのぞむ樺太中央部西海岸の小さな漁村だ。もちろんその集落は日本時代にだけ存在し、今は完全に大自然に呑み込まれ、人が住んでいた気配も形跡も一切残していない。
今回は55年前にこの地に暮らしていた一人の日本人が、今一度生まれ故郷を訪問したいとする目的で娘を伴い、再訪の旅に向かう母娘をSTVが追うというものであり、また合わせて現サハリンのロシア人の暮らしぶりや大自然の魅力をも伝えようと盛りだくさんのスケジュールである。
当然、文字通りの道なき道の旅でありファイナルステージではモーターボートにより約20kmの海上を3艇に分乗し思い出の地に海からアプローチするなど、印象深い手配であった。
今回の車輌は当社が現地に供与したデリカと日本から持参したランドクルーザーだ。
上陸後は「無人島でのキャンプ」に近い設営となり、食事は現地調達のマスを使ったチャンチャン焼き。もちろん調理は主人公のお母さん!
味噌、酒、鉄板、諸材料は当社が日本から持参した。
ぬかりはない!(、、が残念なことにこの場面はカットになった。)
夜、西からの風が強く寒い。流木の焚き火が勢いよく燃え浜の砂を明るく照らす。空は満天の星。
TVクルーとロシア人と火を囲み、なんとなく飲む。皆が一仕事を終え緊張感が失せ和やかな一時であり、薪のはじける音と打ち寄せる波の音が沁みる穏やかな時間が過ぎていった。
60年前に思いをはせる、どんな家々があったのだろう、拠点港の町まで20数kmの山道をどのように歩いたのだろう、冬は、夜は、服装は、靴は、、、、、、
そして、いつの間にか眠ってしまったようだ。
翌日、夜明けとともに一番に起き出したつもりだったが、すでに火は熾され湯沸しの鍋からは盛大に湯気があがっている。ボロノフが朝食を用意していた。皆が起きだして来るまでの時間を二人で熱いコーヒーを啜りながら一言二言を交わす。こんな時間が好きだ。
彼は今回の取材行にサービススタッフの一人として同行しているが、実は大学の教授であり、サハリン州観光協会の理事長でもある。なぜこんな大変なところへ!と思われるが
やはり彼もこんな現場が好きなのである。
そして、もう一人! ズームイン朝の札幌代表でありSTVの顔である内山佳子アナウンサーはタダモノデハナイ!「出来る女!」である。
アウトドアという、とっつきやすい言葉でくくることの出来ない苛酷な大自然の現場において。決して女を出さず、女を捨てることなく、華やかさと躍動感、そしてチーム全体の士気を常に盛り上げるキャラクターは天性のものとおもわれ、さすが全国区アナウンサーと感動した。
どんな難関でも果敢に攻める姿勢、いざとなれば「目をつぶって突っ込む」的な雰囲気は必要とあらば「熊にでも笑顔をむけてインタビュー」をやってしまいそうな得点力を感じさせる、そんな女性であると思う。
またディレクターの星野氏もそんなキャラを十二分に把握し120%以上のレポートを引き出す様は傍らか見ていて痛快だ。
これからもズームインスーパーは見逃せない!