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【ノマド|ロシアセクション】

旅のコラム

札幌・ノボシビルスク友好交流協会

2010.12.11

札幌・ノボシビルスク友好交流協会会長 千葉裕子様/シベリア通信~No.24~

 11月20日過ぎから、冬になりました。暖かかった長い秋がひと晩で冬に突入した感じです。これがシベリアなのでしょう。これを書いている今、朝鮮民主主義人民共和国の韓国爆撃のニュースが飛び込んできました。ロシアでは冷静ですが、ニュースのトップです。今後が心配です。なにしろわが国は発育不良政府が率いていますから。

ノボシビルスク市にあった日本国の総領事館の建物が見つかった。

 ノボシビルスク市民には気がつかなかったかもしれないが、千葉が探していた物件が見つかった。この建物は、1925~1937年まで、日本国総領事館として使用されていた。現在「作曲家の家」と呼ばれている。会員の、そして、今回のピアノの件で力を貸して下さった高橋慶子氏の父上が、外交官として初めての海外勤務をされたのがこのノボシビルスクであった。
以前から「在る、在る」とは聞いていたが、具体的には教えてもらえなかった。
実は、私が行くイタリアレストラン「ローマの休日」の真向かいに建っているのである。「いい建物だ」といつも見ていたもので、このレストランは2005年のノボシビルスク訪問に参加された皆様のお泊りになったホテル「アクチャブリスカヤ」の二階にある。このホテルの真向かいに総領事館の建物が残されていたのだ。当時、分かっていたらどんなに良かったことかと反省している。

「シベリア・北海道センター」に響くピアノ

 11月3日。センターでは「どうぞよろしく」という催しを開いた。当市に在住する日本人と、本年から日本語の学習を始めた新入生を中心とする若者のパーティであった。日本人は12人。ロシア人は160人ほど。持ち寄りのご馳走がテーブルに山盛り。千葉の作った海苔巻きと、お握りは時をおかず「空っぽ」。全員の分まではとても、とても。。。それでも朝から作業についていた。千葉の下心には、ここでの日本料理の普及もあっての頑張りであった。これは今後の課題である。
さて、パーティ準備中の会場から、千葉が休憩していた図書館に見事なピアノ演奏が聞こえた。一時間ものベートーベンの演奏である。明かりを暗く落とした会場には一人の少年と二人の作業服を着たセンターの小父さんが居た。小父さん二人はピアノに寄りかかり聴き入っている。時折、足音を忍ばせて様子を見に行くが演奏は終わらない。ヤマハのピアノが自在に活躍を始めた一瞬であった。「これでこそ、平和の架け橋だ」千葉の目頭が熱くなった。
この一人の少年。12歳になった。将来は作曲家。指揮者。教授。と変わりつつも大きな希望を抱いている。
弾き終わった少年は「おなかが空いた!」とお握りを持って図書館に来た。千葉は黙っていた。「これでいいんだ」とも思った。
ピアノはさりげなくこんな風に動き始めた。歴史は押し付けるものではないから、風化するが、しかし、歴史は長くその時を生きていくのもいいものだ。
この「どうぞよろしく」は6時にはお開きの予定であったが、午後9時半まで若者が残り、日本人との交流を楽しんだそうだ。センターの日本語受講生は330人である。小さなセンターがここまで来たのは、絶え間なくセンターを市民に開放しているからであろう。

地下鉄開通、そして閉鎖

 当市の地下鉄線に新しい駅がオープンした。名前は「ザラタヤ・ニエバ」(金色の空)全国放送でも取り上げられて開通時は賑やかなお祭りであった。しかし、その一ヵ月後突然、閉鎖。10月26日であった。理由は「工事に問題あり」。
危険を伴うことであろうから、仕方がないが、陰の声「開通時に州議会議員の選挙があったので、統一ロシア党の選挙対策で市長が開通を急がせただけ」再開は3ヵ月後とのこと。市民は両手を上げて笑った。

火事騒ぎ

 11月4日。22時45分。明かりを落として本を読んでいた私は路上の異常な怒鳴り声に気がついた。舞台俳優にも似た豪快な怒鳴り声と、鉄の板を打つ鈍い破壊音の連続である。お勝手の窓からのぞくとアパートの前に、はしご車が2台と普通車が一台停車中。はしご車からはホースも引き出されている。消防服に身を固めた消防士がノッシ、ノッシと動いている。縦、と横に相当大きな体格の男性達である。
私の周囲にはまだ異常は感じられなかったが向かいのニーナさんを呼んだ。彼女は電話中であったらしく、受話器片手に私の部屋にきた。ここから、電話を相手に実況放送と相成った。私ときたら、すでに重要書類入りのポシェットを身に着けている。
同時に私達は物の焼ける臭いを感じた。この臭いはこの9階建てのアパートのごみ投入口からであった。夏はここから異臭が漂って不愉快なものである。臭いはここからである。
さて、三戸共通のドアを開けて、私たちはエレベータのある踊り場に出た。ここには新鮮な空気があった。周囲はコトリとも音がせず、動いているのは私とニーナさんだけ。彼女の実況中継は続いている。
私の部屋は3階。やがて、上階から重たい靴音で酸素ボンベを背負った消防士が降りてきた「終わったから、大丈夫」と手を振って降りて行った。私のドアの内側には異臭がまだ漂っていた。全てが終わって11人の消防士が乗車して、アパートの前から消防車が発車したのは23時20分であった。いつもの静寂が損なわれることのなかった35分間であった。「ロシア人という人種は偉い!!!」。「みんな寝てしまったのかな~~」とも思った。ニーナさんの実況は「まぁ、いいさ」とのひと言で終わった。なにしろ双方大声であるから、聞いていた私には面白い実況放送でもあった。

猫が針飲んじゃった

 日曜日の朝、友人の飼い猫「シ―マ」に元気がない。家族3人が鶴首会談。原因が分かるまで時間がかかった。パパが「そう云えば昨晩、彼の口から縫い糸が出ていた」ママが悲鳴を上げた。昨夜、ママは小さな縫い物をした。そして、糸を通した針を探したが見つけられなかったと。24時間オープンの動物病院へ駆けつけた。レントゲン検査の結果、針は胃から腸に半分かかって残っている。という。全身麻酔でおなかを5cm切って針を取り出した。糸は半分消化されていたという。治療費5000ルーブルを払って帰宅。猫は翌日、月曜日も元気がなかったが、この夜、病院に行き、抗生物質を投与してもらって抜糸を待つこととした。ロシア人の感想は「動物病院が24時間オープンとは。ロシアもとうとうここまで来たんだ」と先進国並みになった喜びであった。因みに支払った5000ルーブルは、諸物価高騰中なので食料品に換算して、千葉の一ヶ月の食料品6000ルーブルに近い。

千葉から私信

 私のアパートのお風呂の蛇口が壊れたので、修理を頼んだ。掃除機がないのでモップで暮らしてきた。これも壊れて新しいものを購入した。モップは使用一回目のその場で壊れた。ミンクのコートを着て地下鉄に乗りセンターまでモップを担いで行った。そして叉、電話が不通になって、家主が見に来る約束だが、もう2週間も来ない。驚きつつ「面白いッ」と空元気を出している。そうこうしているうちに、電気ストーブを焚くと室内に臭いが立ち込めるようになった。あちらこちらと原因を探してみた結果、コンセントの壁が熱くなっていた。危機一髪! 火事になるところであった。叉、家主に電話を。その夜、家主が来たが「修理は週末」と言って帰った。最近、夜中に-40度まで下がることもあった。少々寒いが我慢しょう。
 千葉は12月16日に帰国する。今後のことは再就職の口が来ているが、まずは、私物をすべて処分しての帰国と決めた。

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