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【ノマド|ロシアセクション】

旅のコラム

札幌・ノボシビルスク友好交流協会

2010.10.11

札幌・ノボシビルスク友好交流協会会長 千葉裕子様/シベリア通信~No.23~

今年の日本は暑かったそうですが、ノボシビルスクは完全な冷夏でした。7月8月の寒さは冬の寒さを誇るシベリア人にとって、それに加えて再びの自慢話になりました。しかし、9月になって小春日和が続いて、木々も順調に黄葉して、今は、一晩ごとに落ち葉が広い大通りに散り敷き、通勤のトロリーバスから小さな観光旅行をしています。今(9月28日)原稿を書き始めたところに、モスクワ市長、ユーリ・ルシコフの解任の情報が飛び込んできました。センターの職員は「大統領は偉い!小さなメドベージフがモスクワの市長を解任した」と声をあげました。

モスクワ市長解任

 旅人の千葉の情報源は、何と言ってもTVである。9月に入ってモスクワ市長ユーリ・ルシコフについての放映が3回あった。一回目は実業家というお金持ちの誕生パーティで芸能人と共に乾杯のスピーチをしているところであった。「この実業家は犯罪者である」と友人は即座に教えてくれた。二回目はモスクワが猛暑と乾燥で死者が多発しているさ中、彼は別荘で蜂蜜の採取をしている光景であった。三回目は月末に、市長夫人エレーナ・バトゥーリナの「ロシア一の大金持ち夫人」というタイトルであった。いずれにしても有力TV「HTB」の番組であった。
今回の解任に至るまでにはなにかがあったのであろう。大統領は「信頼できない人物」という評価を下した。TVによると、エレーナ・バトゥリナの財源は、早くにモスクワ郊外の大平原を彼女の会社名義で購入した。その後、そこで大団地としての開発事業が展開され、彼女の建設会社が大儲けをして、ロシア一番の金持ちとなったという。日本でも聞いたことのあるような一代出世噺であった。早くに、私は市長夫人が実業家で大金持ちと聞いた時から、彼女は市長の隠れ蓑であるとは感じていた。今回のTV取材では市長自身「妻は大変才能のある人で~~」と答えていた。「驕れるもの、久しからず~~~」を目の前にして、私は快哉を叫んだ。

シベリアを語る

8月28日(土)に開催した「お茶飲み会」は22名の参加者で和やかなひと時を過ごされたと言う連絡が千葉に届いた。司会を伊藤喜代子氏、総括を副会長の高木雅之氏、全体の事務とりまとめを山口幸子氏が受けもたれての会であった。6月のノボシビルスクへの旅行で会員が撮った写真のご披露もあり、また、当地での8月のセンターの集中講座の先生を務めて下さった皆藤健氏、鈴木博子氏、見延明喜子氏の三氏にはノボシビルスク市役所からのメダルの贈呈もあった。会場は会員の前川重子氏のご好意で、いつもの「ひだまり庭」をお借りした。参加の皆様有難うございました。

ピアノのその後

ピアノが修復され、披露されての後、朝日新聞モスクワ支局長副島英樹氏の取材があった。そして、8月7日と13日の二回に分けて、北は北海道から南は沖縄まで一面トップ記事、カラー写真入りで掲載された。また「トリビューン朝日」にも掲載された。一面トップ記事というのはジャーナリストとしてはなかなかの達成感のあるものとのこと。嬉しいことであった。千葉はこれにより、ピアノの出自の手がかりが出てくる事を待った。しかし、埼玉の老婦人から「私のピアノでは?」という投書が一通、朝日新聞社に届いたが、照会できる材料がなくて現在に及んでいる。なかなか生きた情報が出てこない。気長に「もう少し待ちましょう」と言うのが副島氏の判断である。それでも協会の高木副会長の調査を初めとして、朝日新聞社、ヤマハ㈱の矢野氏に於かれても独自の調査を続けてくれている。今に至っては幸せなピアノではある。

日本にたいする戦勝記念日

本年からロシアで制定された祝祭日である。この日は9月2日。当日TV局のニュースはハバロフスク地方取材の短い報道であった。日本軍の進軍については「北へ北へと軍馬は進む~~~」という曲が流れた。そして、満州で死んだ旧ソ連人の墓地が放映された。身近なロシア人の友人達は「なんで、今??」という感想であった。私にも分からない。分かっているのは今後、毎年この日は勲章を胸いっぱいにつけてご老人達がTVに出なさるということである。

日本語熱

8月のセンター恒例「日本語集中講座」は本年のみ「忙しい」という理由で、千葉のみの上級クラスとなった。日本語熱にも翳りが出たかな?と考えたが、9月からの三ヶ年コース受講生募集で330人の応募者が集まった。昨年に続いてのヒットである。教室が不足しているので、やり繰り四苦八苦しての受け入れである。センターとしては独立事業であり、最大の収入源であるからなんとしても全員を受け入れたいところである。本年は授業時間開始を繰り上げ、終了時間は8時半という今までになかった強行軍である。永年の館内見学実施、日本の祝祭日のセンター公開の充実、文化体験各種の実施、また、本年の修学旅行者の増加とあいまっての効果であったであろう。今は朝から夜まで土曜日も含めて、センターは大盛況である。

プーチン首相のカムチヤツカ、極東訪問

またまたTVで恐縮だが、ロシアの大統領と首相はよく働いている。一般市民は会社員は別として、夏休みを40日もとれる役人がいるのに、このお二人は毎日TVに出られる。
今回はプーチン大統領のカムチヤツカ、極東地方への約一週間視察旅行での取材が連日放映された。
8月24日:彼は特別機のタラップを降りた。
8月25日:カムチャツカで捕鯨を楽しんだ。小さな漁船に乗り込み、仕留めることは出来なかったが感想は「カムチヤツカは観光に適している」 そして、森林火災で、住宅を失った住民に住宅提供を知事に指令。「金はある」という。
8月26日:市民対話集会で、女性からの住宅困窮の陳情を受けて、その現場にその足で急行。待遇改善を同行の知事に指令した。
8月27日: ハバロフスクからチタへの2000キロをドライブ。用意された車はロシア国産車ラーダのカリーナ。色は黄色。出発前の報道陣には「一寸、若者好みだね、今朝分かったんだ」と笑っていた。この黄色い車の後ろに黒塗り乗用車の長い車列が続いての長距離運転となった。途中、ガソリンスタンドに寄り、若者とまた青空テーブルを囲んでの対話集会。
8月28日:最終地チタでは「4,5年中にチタ市に、宇宙建設基地を建設する」と言う構想を語った。「金はある。若い専門家に来て働いて欲しい」

今回の発言は重要であった。実行されるであろう。実は今までの宇宙基地はお馴染みの「バイカノール」。所在地はカザフスタン国。莫大な賃借料を払っての使用であったから、自国に基地を建設する構想を実現段階までこぎつけたと言うのであろう。チタは中国との国境に近い。
今回は、行く先々で「金はある」という。なんと快い発言であることか。少々ではあってもこのセリフ。云ってみたいものである。

踏切事故

 8月17日のTV地方版。当地の街の中。一箇所で何人もの踏切死者事故が発生しているという。理由がなんと、踏み切り上での列車の停車時間が長いので、待てない人が、列車の連結部分を使って次々と渡っていく光景が映し出された。実は、私も車で長いこと踏切で停車した経験があった。なにしろ踏み切りに列車が停車して通行を遮断するのだから、仕方がない。この夏までで市内の踏み切り死亡事故者23人とのことである。本年の発表では男性の平均寿命60歳。女性73歳と発表された。死に急ぐ人もいるわけである。

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