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RUSSIA SECTION

【ノマド|ロシアセクション】

旅のコラム

札幌・ノボシビルスク友好交流協会

2012.02.18

札幌・ノボシビルスク友好交流協会会長 千葉裕子様/シベリア通信~No.30~

 12月末から新年にかけて暖かかったシベリアですが、とうとう本格的な寒波が押し寄せました。日中-30度。夜間-40度~50度という日が続いておりまして、外出時は毛皮で寒さを防いでおります。なんとしても毛皮がなければ生活できません。防寒靴の内部は本物の毛張りを。帽子は当然毛皮です。手袋は犬の毛を使ったボッコの手袋です。“犬の毛”に初めは馴染めませんでしたがなんと!暖かいのです。この寒さはダウンコートでは凌げません。しかし、ロシア人の若い女性は短いスカートに短い毛皮のコートかダウンコートです。どうなっているのかしら?? ヒールも高いものです。骨折が老若男女構わず多数発生していて、観察していた日本人曰く「転び方が下手すぎる。
まことに大雑把に転びます。

ザラターヤ・オーセニュー(黄金の秋)にシベリアを旅して  2012.1.31 篠原 節

ロシアの地図上、ノボシビルスクがどこに位置するのか?ノボシビルスクがどんな都市なのか?大ロシアの歴史にも芸術にも全く疎いまま私は千葉さん引率の下、千歳を飛び立ったのでした。シベリアに行くと決まっても直前まで、下調べもしないとはなんと言う大胆不敵。白紙で見たシベリアの風景も文化も今すでにセピア色化し、中には消えかかっているものさえあります。
印象に残ったピースを組み合わせたら、どんな絵柄が浮かび上がって来るのでしょう。私自身も楽しみです。

ノボシビルスク

 千葉さんの住んでいる人口150万の活気ある大都会です。
アルタイ山脈を源流とするオビ河が流れ、東西に長いロシアの丁度真中辺でシベリア極東への入り口でもあります。シベリア開発の基地として発展した街で鉄道、鉄橋の技術を持った街として有名だそうです。街の中央は道路も幅広く整備され、車が雑然と粗っぽく行き来していました。黄葉した白樺やポプラ、紅葉して赤い実をつけたナナかまど、緑の樅の木等の街路樹が旅人の目を癒してくれました。街を移動している人々は中壮年期の男性が多く、女性、老人、子供達の姿はあまり見受けられなかったし、車椅子に乗った外側から分りやすい障害者の姿も殆どなく、何故か不思議に思いました。もっとも街中の道路は車椅子の人からみても、目の不自由な人から見ても、凸凹でバリァフリーには程遠い状態でしたが。救急車やパトカーのサイレンも聞こえなかったし病院の存在も目立たずロシアの医療事情はもしかしたら貧しい?と感じました。多分この調子では脳血管障害や脳外傷の人達の生命が救われていないという予感がしましたが。素人の勘でゴメンナサイ。(千葉註:そうです)

タシケント空港

ロシアの南部に位置するウズベキスタン共和国の首都の空港で、ノボシビルスク行きの飛行機の乗り換え地です。成田からタシケントに降り立った時、む~っとした熱気に包まれ「ああ、シルクロードが近いと感じました。待たされること、待たされること、行きは8時間待ち、一歩も外に出る自由も無く待合室からガラス越しに近辺をながめ、仲間とおしゃべりに花をさかせるのみ。外はいかにも熱そうで陽炎がゆらめいていました。街路樹のもみの木、ポプラ、白樺、楓が見えて、黒、白、黒に1/3づつ色分けしたカラス大の鳥を初めてみました。聞くと「サローカー」という鳥で日本では九州南部にいる「かささぎ」らしいです。
待合室には、ヨーロッパ系とアジア系の混じったような彫の深いアジア系の人々が多かったですね。私の大好きな画家、田村能里子さんの描くシャープなまなざしのシルクロード近辺の女性がいるかとキョロキョロしましたが見当たらなくて残念!雑多な人種が意外と静かに時を待つ平和なひとときでした。

お酒

 千葉さんはロシアで怒り狂った時に、上等なコニャックを嗜むそう。私は嗜めないけれど、彼女の言葉に触発されて帰途のタシケント空港売店でコニャック3本購入(通訳なしでユーロとルーブルで買えました。エヘン!!)確か、1本20ユーロでした。高いか安いか今もって不明ですが美味しいお酒だったようで、土産の中で一番喜ばれました。
シベリアでコニャック。おしゃれな組みあわせ。千葉さんにぴったり。

ホテル

ホテルはどこも快適。千葉さんやイリーナ・プーリックさんの配慮で良いクラスのホテルだったからかもしれませんが、日本のホテルと比べても遜色なしで、困る事は何もありませんでした。トイレは洋式でトイレットペーパーも普通で、シャワレットはついていませんでした。ホテルの食事もおいしく量にも不足ありませんでしたね。
ただ、トムスクのホテルは2部屋でセットになった部屋が当たりまして、トイレ、バス共同で一方の部屋に英語を話す若い男性数人がいて騒いでおり、トイレで鉢合わせしないように気を使ってしまいました。もちろん、バスは使いませんでした。

ダーチャ

ノボシビルスク空港からバスで市街に入る途中、鉄道沿いに(シベリア鉄道かどうかは不明ですが)畑の中に木造家屋が散在しているのを目にしました。もしやスラム街かと思ったのですが、どうやらこれがロシア人の大好きなセカンドハウスのダーチャらしいです。畑で食物を育て生活の足しにするという一面と、土や自然に親しみ癒される場所ともなっているのではと思いました。シベリア鉄道に乗った時もバスでトムスクに行った時も、ダーチャらしい建物の集落が見えました。)

スーパーマーケット・市場・ショッピングセンター

日本でも私の大好きなところです。ショッピンセンターは同じものがどこの国にもあって面白味なし。ノボシのスーパーには2度行きました。かなり上等のスーパーらしくノボシの一般市民の姿は少なかったです。大体、不自由しない程度に品物はありますが、野菜にしろ、肉にしろ、魚、菓子と食品の数はあっても同じ食品の中での種類が少ない。肉にしても魚にしても生より塩づけ、燻製が多かった。日本のように豊富な種類と言うには程遠く、野菜も果物もほぼ同じ物しかない。果物はりんご、西瓜、瓜、黄桃等。野菜は玉葱、じゃがいも、人参、キャベツ、トマト等。木の実は結構種類が多かったし蜂蜜も種類豊か。私は市場で塩漬けのニシン、チーズ、松の実を購入しました。
スーパーでは、お菓子を探してうろうろしていた私に、若い子連れのレディが「これが一番」と親指を立てて教えてくれたマシュマロの入ったチョコと木の実だけのおこしを購入。評判良かったお土産でした。 産物の種類の少なさに厳しく単調な風土の影響があるかもと思ったのですが・・・

バス、タクシー

 バスで片道4~5時間かけてノボシから北の街トムスクへ行ってきました。バスの乗り場が労働者風の壮年の小父さんたちで埋っていたのが印象的です。女性や子供もいましたが・・・
道路のひどいこと、ひどいこと 凸凹道をドンドコドンドコ走りました。両側に山影ひとつなく先に見える地平線に向かってひたすら走るのです。黄色く枯れた雑草や麦と遠景の黄金に輝く白樺林が、どっちを向いても金太郎飴みたいについてまわります。初めこそ物珍しく見ていましたが、段々飽きてきて隣の人とのおしゃべりに没入していました。乗客は総じて物静かです。
途中寄ったドライブインらしきものには勿論トイレもありますが有料(太った小母ちゃんが大声でとりたてます)の割には汚れていて呆れてしまいました。バスの通る道に集落があるわけでなくノボシから4~5時間かけて突然街(トムスク)が出現するという感じ。
タクシーはシベリア旅行中、私達の足代わりでしよっ中乗りました。タクシーも街中を走っている車も日本の中古車が多かったですね。ガソリンが安いのか、あるいは車の値段が高いのか、エコカー(プリウス等)は見かけなかったです。
タクシーも個人の所有物なのか、自分の部屋みたいに飾り立て大切にしているようでしたが、運転の乱暴なこと。多分、交通事故も多くあると推測されました。それにしては街中に救急車のサイレンもパトカーのサイレンも聞こえなくて「???と言う感じ。多分、ロシアの高次脳の問題は10年か20年後の問題になってくるのでしょう。

国立オペラバレエ劇場 、シンフォニーホール

想像していたより小ぶりな建物でしたが、内外とも重厚な様式の建物でした。私の大好きなバレエを見られなくて残念。 シンフォニーホールでガラコンサートを聴くことが出来ました。じっくりクラシックを聴けたわけでなく、何時もはクラシックを奏でる団員が現代音楽風のものを何曲も演奏していました。聴衆に若者が少ないのに、クラシック離れの若者をひきつけようと企画したプログラムのようでありました。いずれも、この国でも伝統を次の世代に伝えるのに苦労しているようですね。

シベリア鉄道

若い頃、映画やスパイ小説でふれていたシベリア鉄道。
第二次大戦後、日本の捕虜がこの鉄道敷設に労働力として従事したり、シベリア鉄道に乗って収容所に連れて行かれたと、聞いたり読んだりしていました。片道6時間かけてノボシから西へ。オムスクまで乗ったのです。映画で見るようなコンパートメント式の列車でなく、一般市民がよく利用する箱型の一等車でした。警備が厳しくアチコチと写真をとるのも禁止され、四方枯れ草と白樺林が延々と続いているのみなのに何がいけないのか不明。ノボシ―モスクワは2日半かかるそうです。
ノボシ―オムスクは片道1,300ルーブル。 日本円で3,200円はお安い感じ。シベリア鉄道に乗って、山影のない大空から地平線に沈む夕陽もじっくり見ました。白樺林のシルエットが美しかったですね。バスでの風景と同じで、単調な風景の連続でした。北海道も似たところがあるけれど、北海道の方が山あり谷ありで生態系は豊かで変化に富んでいると思いました。
始発モスクワから終点ウラジオストックまで下り6泊7日で、上り7泊8日かかるそう。上りと下りの時間の違いがどこからくるのか不明。乗客達は皆おとなしく、各自適宜持参の食料を食べていました。シベリア鉄道って単調が特徴なのでしょうか。だからこそ車内の事件や人間関係が面白おかしく小説や映画の題材になるのでしょうか。

トムスク

緑の多い落ち着いた街。あちこちにロシア正教会のある街。
古い木造建造物が残され、今も市民が大事にして住み着いている様子が好ましかったですね。谷間に赤い釣舟草を見つけて大喜びしました。白樺だけでなく楓や、しなの木もあってどこか懐かしい風情のある街です。河畔にあるチエーホフ像も大きな足をしてどこか漫画チックな立像で、チェーホフの本なら読んでも面白いかもと思えました。日本で言えば金沢市の感じ。

オムスク

人口100万人。ノボシより西へ6時間の都市。
モスクワからみたらシベリアの入り口に位置しているようです。ドストエフスキーの流刑地ということですが、冬の厳しさがいかばかりか想像出来にくかったですね。ノボシの方がもっと寒いだろうと思うので。結構モダンな街並でカリーナと呼ばれる赤い実のなる「がまずみ?」の樹々が印象的でした。ドストエフスキー博物館があり、説明の小母さんの熱心な喋りには参りました。日本で言えば松本市の感じがしました。

食事

旅行中、食事に不足、不満は全くナシ。。。
どのレストランのロシア料理も、日本料理も、グルジア料理も私の口に合っていました。味はくどくなくさっぱりしていたと思います。ピロシキも揚げるのでなく焼くのが普通と聞き、又食べてみて本当にさっぱりしていましたね。楽しみにしていたボルシチも美味しかったし酸味のきいたサリヤンカスープと出会えたのも嬉しい事でした。
ビーツとニシンの塩漬けにサワークリームを混ぜたのが美味しくて、市場で大きな鰊の塩漬けを3本も買って帰りました。誰にもあげず家で夫と2人で食べてしまいました。ビーツの代わりにキャベツでも美味しかったですよ。
ロシア料理が口に合うということはもしかしたら、民族をこえて人間同志に親和性があることに繋がるかも。そして食物の相性が国と国の相性にも繋がれば嬉しいのですが。

ロシア正教会

独特の形の屋根に聳えたつ面白い十字架が目に残っています。十字架と比べると横棒に1本足して更に斜めに一本棒が入っているのです。どういう意味があるのか知りたいものです。中に入るとキンキラキンとしていて、教会なのに信者の座る椅子もなくがらんどうで音楽を奏でる楽器もないのです。拝む彫像(キリストやマリア)もなく、壁面にはイコンという聖画が沢山飾られています。人々はイコンに祈りを捧げていたようです。
明治初期に日本からうら若い山下りんという女性がロシアに留学してイコンの描法を学び、帰国して日本のロシア正教会のために沢山のイコンを残したことを思い出しました。山下りんのイコンをみたくて、数年前中標津近くの上武佐の教会を訪ねたことがあります。函館の正教会にも山下りんのイコンがありました。

トイレ

都会のホテル等の一部を除いて大半のトイレは、金かくし無しで前後の区別なしのトイレで、空港でさえそうでした。だ円型の穴を跨いで入り口を向いて立った構えで用を足すわけです。勿論腰は少し後ろにひいて、水は紐を引けば出てきますが、日本でも昔はこんなトイレが普通だったのでは?昔のお婆さん達はこうゆう恰好で用を足したと聞いています。ひざの屈伸力が弱っても大丈夫なトイレです。

シベリア・北海道センター

イリーナ・プーリックさんをトップにして優秀な日本語ペラペラのロシア人の働いているセンターです。千葉さんの力にもよるのでしょうが、どの方も日本の歴史や文化を充分吸収した上の日本語で、今時の日本人として自分の日本語が恥ずかしくなるくらいです。話す間合い、機微をつかむ術、空気を読む力、話す態度、ノボシビルスク国立大学東洋学科長よりプーリックさんの方が、数段上手とお見受けしました。センターの優秀な人材がどこの国でどのように生かされていくのか気になりました。ロシアで日本語を学んでいる皆さんが日本語を学んでよかったと思える明るい未来が拡がることを願っています。

アカデムガラドーク

ノボシビルスクから30キロ離れた森の中の学園都市で、ノボシビルスク国立総合大学がある緑豊かな静かな学園都市で研究には最適の環境です。この大学には43学部あって科学と物理と化学に主力をおいてネットワークによる研究を進めている由。ネットワークを生かした研究ということに先進性を感じました。

ドフトエフスキーとチェーホフ

大文豪には弱いのです。トルストイのアンナカレーニナとチェホフも何か読んだような記憶はあるのですが。
ドストエフスキーは名前を聞くだけで暗くて重くて長い感じで敬遠していました。
オムスク市内で彼が鎖につながれ重労働を何年もしたことを知って少し見方が変わりました。厳しく単調な風土と自由を奪われ重労働に従事した生活から生まれた文学としたら暗くも重くも長くもなるだろう。人間の真実を深く掘り下げたくもなるなあと思い至りました。ドストエフスキー、チェーホフともにシベリアを訪れた縁で生ある内に読んでみたいと思っています。因みに青春時代に長編で読んだのは「ジャンクリストフ」や「チボー家の人々」の軽~い私です。
現代のロシア文学もどうなっているのか知りたいところです。意識してロシア文学を手にしたことがないのでこれから見つけて読んでみましょう。
ロシア語通訳の米原万里さんの小説やエッセイは、普通の日本人の感覚と異なって面白かったですが。誰方かいい本をご紹介下さいませ。

トピックス「お茶飲みの会」を終えて  高木 雅之

「お茶飲みの会」は協会の定例行事になってまだ浅いのですが、会員の有意義な集いになってきました。2011年12月4日に開催した「お茶飲みの会」の概略を報告します。
会場はいつもの「ひだまり亭」から「北海道クリスチャンセンター」に変わりました。写真をスクリーンに映し出す機器が必要だったための変更でした。当日はお天気もまずまずで一安心、22名のご出席があり研修室もほぼ満員状態でした。
当日は、去る9月にロシアを訪問された会員の方々から旅行の報告を頂く趣旨の会で、報告者は篠原節さん、藤澤豊さんのお二人でした。篠原さんからは大きなスクリーンに映写された豊富な写真(撮影者:伊藤喜代子さん)をもとに逐次説明がありました。訪問した3都市の街並み、建造物、市民など、そして大学、シベリア・北海道センターなど訪問先が新鮮であったり、懐かしかったりであっという間に時間が過ぎてしまいました。参加者は女性が多かったこともあり、旅先で食べた料理の数々、そして市場の果物、野菜など生鮮食品や畜肉食品、乾燥果実、穀類、香辛料などの映像への関心が高かったようです。
篠原さんからは写真とは別に訪問地における身障者に対する配慮に関して気がつかれた点、そして購入した石や白樺工芸品などについてもお話をいただきました。
藤澤さんからは既に旅行感想文が寄せられていましたが、当日は手持ちの写真を回覧いただきながら、旅先のエピソードについて豊富なロシア旅行体験者ならではの視点から面白いお話を伺えました。ノボシビルスクは自分が過去に訪問したロシアの都市と比べて一番きれいな街並みを有しているということばが印象的でした。
お二人から具体的かつ充分なお話があったせいか質問は少なかったのですが、本間先生からは「今回の訪問地のインフラや産業が成長しているように伺ったが、統計的には3市とも人口の伸びが低迷しているはずで、そのあたりはどのように説明できるのか・・・」という趣旨の質問がありました。この件については明快な答えは出せませんでしたが、例えばノボシビルスク市に焦点を当てて考察してみると面白いかもしれないと思いました。
最後に、高木から出席者の皆さんに「来年、千葉会長からの訪ロ企画が持ち上がったらご案内しますので是非参加方ご検討ください」とお伝えし閉会しました。(札幌・ノボシビルスク友好交流協会 副会長)

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