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【ノマド|ロシアセクション】

旅のコラム

第16話 ロシアの交渉力その背景

2006.07.05

重たいタイトルである。今回のコラムは格調高くすすめたい。
本邦から多くの代表団がかの地を訪れる。その目的は様々である。
行政がらみの団体の時もあれば経済団体であったり文化団体であったりとする。
文化交流などの場合は交渉と言ったニュアンスよりは友好・親善のキーワードが中心であり多くの場合問題がない。
しかし、自治体の発展をかける行政系の代表団や、直接利益行為にかかわる経済団体の訪ロの際はロシアと切った張ったの「交渉」の場が当然予測される。特にロシア極東は古くから中央に見放されがちで、モスクワは当てに出来ず、かといって各地に裁量権があるわけでもなく、許認可権限は相変わらずモスクワ。一般歳費や経済行為も中央の目を逃れて独自にと言うわけにもいかない。そんな時の「ペレストロイカ(改革開放路線)」である。
日本もビジネスチャ~ンス!と勢い込んでの訪ロであるが極東ロシアも来るぞ、来るぞとてぐすね引いて待ち受ける。
日本からの代表団、洋々敵前上陸である。迎え撃つは極東ロシア各界代表。

当然、上陸初日はロシア側主催ウエルカムパーティーが開催される。
実はこれこそがロシアの天下無敵の交渉力を支える舞台である。
奥義「バンケット(宴会)」だ!
のっけから敵の土俵に上げられてしまっていることに日本代表団は気づかない、、、。そして突然ロシア伝統の必殺技が堂々正面から繰り出される。「ウオトカ!」だ。 我々はこれを「チュッチュウー作戦」と呼ぶ。(邦訳:ほんのチョビットだけだから~の意)

ホスト代表として一番偉いロシア人がグラスを片手に立ち上がる。「遠く日本からよくぞ御越しくださった。(中略)日本の代表団のために~云々。」そして声高らかに「カンパ~イ!」(飲み干さねばならない。)  始まりだ。
日本代表団のトップは答礼の挨拶に立たねばならない。グラスには既に2杯目がなみなみと注がれている。「意義深い今日という日に、(中略)云々~。」「乾杯!」。すかさずロシアNO,2が立ち上がる「我々は今日友として云々~、カンパ~イ!」。日本の副代表「少しでもお力に云々~、乾杯!」以下同文、、、。壮絶な波状攻撃の応酬である。

ロシア側の攻撃は巧みだ。底抜けに明るい満面の笑みで「底まで底までー。」と盛り上げ、グラスが空くと「チュッチュウー(ほんのちょビットだけ)」と言いながらなみなみと注ぐ。
ホスト5人、ゲスト5人で計10杯だ。リュムカというショットグラスだが平均50cc。
50ccx10杯=500cc。ロシアのウオトカの一般的ワンボトルの量だ。一人当たりボトル1本!
前半ハーフタイムが過ぎる頃、日本の代表団の30%はもう戦線に立てない。もし戦争だったら3割の戦力喪失は即撤退を決断する数字だ。しかし日本男児に撤退の2文字はない。果敢に奮闘する。が時間を負うごとに健闘むなしくしだいに防戦一方となる。60分後7割の戦力ダウン、もう戦線は維持できない。残ったメンバーには十字砲火である。お開きの目安90分後はほとんど壊滅状態である。
ロスタイムを迎えるまでもなくロシア人に抱えられるようにホテルの部屋へ搬送される。矢尽き刀折れた企業戦士の姿がそこにあった。時に行政マンの姿であったりする。翌日は朝から会議だ。
代表団メンバーは意識朦朧のなか気力でピッチに立つ、しかし前日の「チュッチュウー作戦」の後遺症もあり会議の主導権は終始ロシア側だ。
この日、答礼の晩餐会が開かれる。日本の主催となる。日本食レストランで和食・日本酒である。ホームでの闘いでもあり日本代表団は一矢を報いるチャンスである。しかしその希望もワールドカップクロアチア戦のごとくあえなく潰える。
対峙するはロシア人である。日本食だろうが中華だろうがやっぱりグラスを片手に立ち上がり、一気飲みである。「チュッチュウー作戦」はこの日も繰り返された、日本はロシアの交渉力を支える偉大なる酒飲み文化を知る。そして遅まきながら訪ロの為の代表選手選考の選抜基準に気づくのであった。
日本の名誉のために書き添えたい。偉大なる日本人達がいる。一人を紹介しよう。「チュッチュウー作戦」をものともせず、あろうことかロシア人相手に孤軍奮闘、怒涛の波状攻撃を撃退し、延長線を戦い抜き且つPK戦をも制した偉大な男だ。ある大都市の大物行政マンとだけ言っておこう(惜しむらくは今は現役を退いた)。彼は仲間達がひとり、また一人と倒れる中、最後には無傷のロシア軍をたった一人で撃破したのである。キックオフから勝利のそのときまで全く顔色を変えず、乱れることなく終始笑顔で戦いに臨み、笑顔のまま勝利した。ロシア人をして「ウオトカの皇帝」と言わしめ、伝説となった。
勝利のあと労いの言葉をかけさせていただいた。「大丈夫ですか?」、彼は一言「キツカッター。」本音であったと思う。しかしそれでも笑顔を絶やさない。本物である。
翌日の会議の主導権支配率はそのほとんどが彼の席上にあった。

2006年現在。今北海道だけとってみれば代表団メンバーは厳しい選抜基準をクリアした精鋭ばかりである。強豪ロシアを相手に実戦経験を積んだ北海道は経済団体も行政も兵ぞろい。団体戦ともなれば負け知らずである。
彼らには年に一度名誉の勲章が与えられる。一度に三つだ!
‐社会保険健康管理センターお知らせ‐ 勲章名は≪要経過観察≫:中性脂肪、肝機能、痛風。
苛酷な戦場を転戦した証である。歴戦の猛者に敬意を表する。勇者達に幸多からんことを!

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