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RUSSIA SECTION

【ノマド|ロシアセクション】

旅のコラム

第17話 ランドクルーザー60

2006.09.12

自家用車がサハリンに持ち込めるので、仕事に趣味にと毎年重宝させてもらっている。
「仕事のための情報収集が目的。」とは言いながら、元来こんなことが大好きな性分からかサハリンの地図上の道はもちろん、道のようなもの、樺太時代の廃道、もしくは道はないけど車が入れるところ、は多分ほとんど踏破したのではと思う。行く度に自分の中の白地図が埋まっていくことに何か達成感もあり、再訪の時はなつかしさもある。

今年も幸運なことに春・夏に複数回の訪問のチャンスがあった。
そしてそこで2度楽しい出会いに恵まれた。いずれもサハリンへ向かう稚内港での出発前フェリーターミナルである。1度目は古い(というかボロイ)ランドクルーザー60。ドライバーはスエーデン人、同乗者はデンマーク人の2人だった。サハリンへの定期航路アインス宗谷の車両甲板に私の車と彼らの車が並んだ。話してみて驚いた。なんと2月17日にストックホルムを出発し陸路はるばる東京まで走破し、「今は帰り道なんだ。」と事も無げに言うではないか。北欧から中央アジアのタジク・カザフ・キルギスそしてパミール高原を越え、モンゴルのゴビを通ってシベリア経由で日本へ・・・・・。そしてその装備の簡素さにも舌を巻いた。大きな木箱3つにザックが2つ。日本人の夏の1泊キャンプより少ない荷物だった。試しに「装備品で一番重要な物は何か?」と訊ねた。「スコップ。」とひとこと。(彼らは持っていなかった。そのことで吹雪のパミール越えで何度もスタックし手で掘って進んだそうである。)船内での5時間半は瞬く間に過ぎた。一方的に聞いてばかりだったがサハリンに着く頃には彼らの「パミールは最高に良かった。」の言葉に心が揺れていた。お互いのアドレスも交換した。
コルサコフ港には定刻の17:30に着いた。私は事前に強制保険と通関をロシアエージェントに依頼してあったので車両陸揚げは30分で済んだ。
しかし彼らはエージェントを立てていなかった。
通関の窓口は17:00に既に閉まっており、彼らは木箱3つとザック2つを持ってターミナルから出された。税官吏は「車は明日10:00以降の手続だ!それでは。」と言っていなくなってしまった。
日はとっぷりと暮れ、人通りは無く、タクシーも無い。 うら寂しい異国の港で茫然自失である。
彼らの今日の予定はオホーツク海まで出て楽しいキャンプだった。しかし車が無いこの瞬間、あっという間に難民になってしまった。
 彼らは「ここで夜を明かす。」と言ったが、同じランクル乗りとしてはもちろん放っておけない。荷物を抱えしかも女連れである、ロシアの寒風吹きすさぶ寂れた港に置き去りなどできるわけが無い。「ユジノに一緒に行こう、ホテル探してあげるよ。」と私。

「いや、実は旅に出るとき一日の支出を二人で35ドルまでと決めたんだよ。」
「え~!?今のユジノで100ドル以下のホテルは無いよ!」 
「・・・・・・・。」
「OK!私も昔そんなことをしたことがあった。私の部屋に一緒に泊ろう!乗れ!」
「いや、それは申し訳ない。自分たちの決めた都合に貴方を巻き込むわけにいかない。」
「それじゃ俺はどうなる、残りの人生、女連れを置き去りにした男として生きるのか?」
「いや~、そうは言っても~・・・。」
「OK!それじゃ今夜の晩飯そっち持ちで、どうだ。」
「助かる。」
そんなこんなでユジノまでの珍道中となった。
ホテルがラッキーだった。フロント前は少々ドキドキしたけど難なく突破した。
ツインベッドルームのシングルユース、しかもひとつはキングサイズのダブルベッド。広くていい部屋だった。彼らも喜んでくれた。(ガガーリンホテルありがとうー。)
ロシアの極東の地サハリンでスエーデン人・デンマーク人・日本人がひとつの部屋で英語で旅の情報交換をした。 彼らのランクルはアフリカの旅も経験しているという。少し自分の世界が広がったように感じたそんな一夜だった。
翌日コルサコフ港まで送り、通関のアシストをした、6時間かかった。無事彼らの車を保税から出し、荷を移し終えた時はもう夕刻だった。彼らは2,3日サハリンを廻ってから大陸に渡ると言った。
3日後の朝、彼らはホテルに来た。世話になったと言いながら幾つかの土産を手渡された。
お互いの成功を祈り別れた。6月16日のことだった。

9月4日、札幌の私の事務所に小包が届いた。大きな箱だった。国際郵便とある。
発:ストックホルム・・・?。
箱を開けて驚いた。スエーデン軍のオートバイ兵が着る新品のジャケットだ。
すぐに思い出した「確か彼女が同じものを着ていた。」自分の言葉を思い出していた「・・・貴女のこのジャケットは日本のバイク乗りから高い評価を得ているんですよ、・・・・。」
箱の中に数枚の写真と絵葉書があった。写真の裏にはパミールと書き添えてあり、絵葉書にはサハリンでの感謝の言葉と、パミール越えに役立てばとあった。
初めて出会ったスエーデン人であり、たった1泊2日の出来事だった。絵葉書を読みながら自然と背筋が伸びた。スエーデンという国と国民性に刮目させられた。日本人としての自分の立ち居振る舞いにあらためて緊張感を持った。生涯忘れることが出来ない出来事となった。

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