旅行代理店ノマドのサハリン旅行を中心としたロシア専門部門「ロシア・セクション」

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RUSSIA SECTION

【ノマド|ロシアセクション】

旅のコラム

札幌・ノボシビルスク友好交流協会

2007.10.12

札幌・ノボシビルスク友好交流協会会長 千葉裕子様/シベリア通信~No.7~

トピックス  5歳のパーシャ

 8月15日、日本語集中講座の講師控え室に小さな子供が2時間ほど出入りをしていた。私どもはセンターが部屋を貸している小児用プールのお母さんに連れられて来た子供だと思った。聞くと一人で来たと言う。逃げ出そうとする。「食堂に行く」「なにを飲みたいの」「コーヒーを飲みたい」イリーナさんとのやり取りの中でも隙を見て逃げ出そうとする。センターの入り口に錠を下ろして、館長以下鳩首会談?パーシャは顔を覆って泣き出してみたりして落ち着かない。ホールの暗い明かりの下でイリーナさんがいろいろと問いかけてみる。家では「サーシャが僕を叩く」「お姉ちゃんは死んだ」「ママに会いたいか」と聞くと「嫌ッ」と云う。警察に迷子の通知を出して迎えを待った。傍で見ているとさりげなく脱出を試みる。目は子供の目ではない。言葉も子供の言葉ではない。私達は勝手に推測した。「パパはいなくて、サーシャというママの愛人が一緒で、この子をぶつのだろう」「家庭内暴力だろう」「お姉ちゃんは暴力で死んだのかもしれない」。
 やがて警察がやってきた。その間に、昼に中央警察署に迷子の届出があったと言う。母親からの届出だから彼女が迎えに来ると言うことがわかった。母親が来ると言うとパーシャは逃げようとする。迎えに来た両親にイリーナさんは仰天?。両親は警察官だと言う。彼が両親の後ろについて帰った後、しみじみと考えた。「一体、どんな家庭で、彼にどんな苦しみがあるのだろう。子供としては持ちきれない苦しみなのだろう」5歳の子供の苦悩をどれだけ私は汲み取れたのか、分からない。言えることは、今後のパーシャの人生がただ事でなく辛いことの連続であろう、ということである。

トピックス  日本語集中講座 主催 市立文化センター “シベリア・北海道”

 本年も8月6日から3週間、センターで日本語集中講座が開かれた。本年は(財)札幌国際
プラザと北海道日本語教育ネットワーク、そして、札幌姉妹都市交流協会のご支援をいただいた。
 受講生30名。札幌から鈴木博子先生をお迎えして、日本人2名、ロシア人講師3名での開催となった。募集開始早々満員となった。昨年からの日本語能力試験(昨年の願書受付280人)の当地開催で、従来、モスクワへ行かねば受験出来なかったのがノボシビルスクで可能となった為、本年の試験を目指して受験生が増加したのであろう。そんな思惑があってか今回の日本語集中講座で4,3,2級を目指す受講生が早々と申し込んできたのである。各級10人ずつの構成となった。昨年と異なり、本年は欠席する学生も無く、私どもは学生の熱気におされて、順調に3週間が過ぎた。ロシアにおいて、日本文化に関する唯一つの市立である文化センター“シベリア・北海道”が会館11年目を迎えて、着々と地盤を固めつつある。実は受講料がなかなか高額なのであるが。
 6,7月と暑い毎日であったのに8月に入って寒い日が続いた。札幌からの鈴木先生に「暑い、暑い」とメールをした手前、暑くなる日を待ったが叶わなかった。無事終了。
 ご協力いただいた各方面の方々に感謝をしている。

トピックス  トムスク市への小さな旅行

千葉にとっては3回目のトムスク行きであった。集中講座の合間に鈴木先生をご案内して出かけた。一泊2日の旅であった。今までは自家用車かチャーター車であったから日本人のグループが移動したわけだが、今回は相乗りタクシー(13人乗り)であった。旅程4時間半位とのこと。車のドライバー氏の腕は見事だが、その飛ばすこと、飛ばす事。恐怖で頭がぐらぐらと揺れた。
 さいわい、この度は天気に恵まれた。朝、10時にノボシビルスクを出て、2時半にはトムスクのバスターミナルに到着。ここで翌日のチケットをまず購入。そこから乗り合いバスで市の中心に向かった。今回もホテルは「スプートニク」。2年前と同じホテルである。このホテルは前回ツインで宿泊した折、面白いシステムであったと記憶していた。ドアを開けると独立サニタリが一つ。二部屋のうち、一つは大きな豪華なシングルの作りなのだがもう一部屋は召使のともいえる小さな部屋に粗末なベットと机があるだけ。こういう時、部屋割りは難しい。今回は、同じシステムでありながら改装されて寝室は同等のものであった。今回はどちらにしようかと悩むことも無く選べた。この仕様の利点を考えてみると、サニタリを一つにして、シングルルームを二つ用意するのと同じであるから、何処のホテルでも使えるアイデアであろう。グループ旅行の盛んな日本でも使えるアイディアである。
 一日目は街一番とう云う美味しいレストランで充分に食べて、我々はお腹を突き出して町外れまで歩いた。チエホフがサハリン旅行をした途中に立ち寄った記念に、この街は彼の彫像を立てていた。彼はあまり大きな人でなかったのであろう。足の大きな小柄な姿のあまりよいとは言えない男ぶりである。健脚の鈴木先生には申し訳が無かったが、11歳の年齢の差はいかんともし難く千葉はへとへとであった。二日目も天候に恵まれた。午後の乗り合いバスであったから、なんとなく街の中を行き来している内に時間が来た。人口の45%が学生と言うこの街には喫茶店が良く似合う。ひと休みしたコーヒーショップがロシアとは思えないセンスの良いものであった。400年の歴史を持つトムスクに暫く住んでも良いとも思った。

トピックス  カリーニン広場のギター

 曇り日の寒い日が続くなか、午後から日差しが暖かくなったので、散歩に出た。私のアパートは地下鉄駅がガーリンスカヤから徒歩1分だが、ここから歩いてもカリーニン広場には10分とはかからない。大きな円形広場で、ショッピング街でもある。郵便局に寄った後、日陰に店を出しているご老人の中に姫紫苑を見つけた。豪華な薔薇の花も結構だが、私は馴染みのある紫の姫紫苑を買った。5束で50ルーブル。大きな花束が出来たので、腕に抱えて靴屋の店先を覗きながら歩いた。シベリアには靴屋が多い。特に女性の靴専門店が多いのはあの美しい脚線美に由来しているのかも知れない。そろそろ帰ろうかと思った頃、ギターが聞こえてきた。地下鉄駅構内でも、街角でもよく音楽が聞こえる国だが、今日は足を止めた。グルリと見渡したがこの辻音楽師は見えない。今日、私は暇人である。探検に出かけた。「いた、いた」街路樹の下に居た!中年の小柄な男性である。大きな広場一杯に聞こえるギターは腰を下ろすコーヒーショップが無くとも、遠くに、あるいは近くに、と立ち止まる人々が多い。中年の男性や青年などちょっと足を止めて聞き入っている。曲は少し古くなった映画音楽であったり・・。次々とコインが投げ入れられて、なかなかの繁盛である。私もいつもの倍額10ルーブル紙幣をギターケースに放り込んだ。「まんぞく、満足」。

トピックス  寿司フェスティバル in シベリア

 「シベリア見本市」の中日、9月5日、寿司コンテストの審査員として会場に出かけた。なんのことはないイリーナさんとお腹一杯お寿司を頂けることに惹かれたのだ。と言っても今日は公用の出張である。競技参加者は7社10人であった。急設えの舞台での寿司の盛り合わせ競技である。背の高い白皙の青年が電信柱のように直立の姿勢でまな板に向き合っている。一人だけ腰の入った姿勢で、包丁さばきもなかなかという板前さんがいた。とは言え、一人とて日本滞在の経験も無く、チェーン店のスタッフとしての教育をうけただけである。第一、包丁の切れ味が悪い。冷凍鮪を袋から出してその赤い汁の中で包丁が行ったり来たりする。「止めてっ」と言いたいところだ。大根のかつら剥きは包丁が切れないから、その一枚は厚く薄く段だら模様になる。しかも水分の飛んだ大根であるから紙きり細工のようだ。飾りにもならない。この折の生のネタは鮪と帆立貝と茹で海老、そして鮭。残りはアレンジものの巻き寿司。胡瓜、チーズ、燻製の鮭、調味料はマヨネーズを利用したロシア風の彩りの豊かなものである。寿司飯はいずれの店も酢が足りなくて心もとない。盛り付けは美的センスの豊かな国民性を反映して凝ったものであった。いくらお腹一杯食べられるからと言っても、10人の板さんの作品を味見しているうちに帰りたくなった。何れも「結構、結構」と言って終わりにした。
 当地の寿司ブームは暫く続くだろう。モスクワのチエーン店が多いので、1,2年経つと味が落ちる。今は「すし山」がいい味である。この2,3日後、私達センターの女性スタッフは口直しに「すし山」へいって、豊かな寿司ネタに舌鼓を打った。

トピックス  ミンクの帽子

 毛皮の帽子が古くなったので、中心部の帽子屋さんに出かけた。今日は庶務係りのオリガ・ヤーカレブナさんが付き添って下さった。年齢58歳。なんでも知っていて料理が上手い。帽子屋での発見。帽子が安い!!。なかなかのフェルト製の帽子が7,000円ぐらいである。日本の半値以下である。しかし、目的のミンクの帽子は30000円。オリガさんは目を剥いて「高い」と言った。「バラホルカに行こうッ」バラホルカは日本語で言うと“闇市”。センターのお嬢さん育ちのスタッフたちはバラホルカと云うと恥ずかしそうにする。昔のことだ。ソ連が崩壊したとき(この前からあったが)、品物不足から、中古品が出回った。現金に窮した市民も自家のものや手作りの衣類など持ち寄って広場がごった返していたものだ。靴の片方すら売り物であった。
 数日後、オリガさんに連れられてバラホルカに出かけた。掏りやひったくりが居るからと現金は胸元に隠した。会場に入ると、キオスクのような小さな間仕切りの毛皮帽子屋が100メートル以上の長さで5,6列ひしめき合っている。平日なので客は少ない。右、左からの強引な客引きには一列歩いただけで疲れを感じた。何回も「もう、決めよう」と心を決めたが、オリガさんは「まだ、まだッ」と言って蛇腹折になっている折り返し点から戻っては全ての店を見回った。私は「何でもいいから買おう」と。「これにしよう」と。出来る限りの笑顔で決めた。お陰で13000円で買うことが出来た。今は古いミンクの帽子の始末に頭を抱えている。古いモードなのでどなたにも使っては頂けない。作り直しも効かないとなると闇夜に紛れて捨てるほか無い。オリガさんは目を剥いて「捨ててはいけない」と言う。どうしよう??

トピックス  バレエを見ました

 9月21日、ロシアでの飛びっきりのバレェダンサーがモスクワから来た。ニカライ・ツシカレーゼ(ナロードヌイ・アルチスト)私から見ると年齢不詳(30代後半か)。背が高い。髭が濃い。かなり、女っぽい。TVの氷上ダンス番組の審査員。チョコレートのコマーシャルでの手の長いこと、足の長いこと。
 チョコレートのコマーシャルで垣間見たダンスに私は魅せられた。センターのスタッフとの食事中に話題にした。
ところが、もうすぐ彼が当地のオペラ・バレェ劇場に来るというのだ。行こう、と決めたがチケット料金を聞いて目を剥いた。最高席3500ルーブル(日本円、15000円)当地の年金額一か月分とおなじ位。自制心が働いて我慢、我慢。行きたいけれどなにか行きづらくて、我慢。小さいこどもが玩具屋さんで「見るだけ」と言われて我慢するようなものだ。
 ところが、ところが、思わないことにセンターの女性スタッフ達からチケットがプレゼントされたのだ。私は 「どうして?」 絶句!
 行ってきた。ロシアで一番大きな舞台の当地の劇場でも狭かった。息もつかせないダイナミックな踊りには、かつて足の怪我で2年間舞台に立てなかった男の根性が見えた。しかし、踊りきったときの腹筋の荒い波うちはただものではなかった。独り舞台の凄さである。1800席の座席は満席であった。
 ささやかながら私は翌日、大きなバナナの房を抱えて出勤した。

トピックス  札幌からのマラソンランナー ノボシビルスクマラソンに参加

 札幌市から、市民マラソンランナーの森田哲夫さんがいらした。ノボシビルスク入り9月4日。この頃当地は寒かった。当日まで寒い日が続いた。体調の調整はいかがかと気にはなったが、招待元が当地のマラソン実行委員会であったので情報は少なかった。センターは招待状作成、送迎の範囲の仕事であった。今回はお一人であったが来年も再来年もいらしていただきたいと願っている。
 来年は当市の開基115年で今から祝祭の準備に入っている。札幌市民の方々の旅行団結成も話題になることだろう。今回のマラソン実行委員会も森田さんに札幌市民のマラソン参加者を依頼したという。

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