旅行代理店ノマドのサハリン旅行を中心としたロシア専門部門「ロシア・セクション」

ロシアの旅行の手配から観光まで

RUSSIA SECTION

【ノマド|ロシアセクション】

旅のコラム

第22話 お土産(おみやげ)

2007.11.17

ロシアのおかげでいろいろな体験をさせていただいている。実にありがたい。
1988年以来、日本からロシアへの旅行需要に応え、仕事を頂いてきた。
そうこうするうちに1994年頃から、ロシアから日本への旅行需要が起こり始め往復で仕事が可能となった。

客船をチャーターしロシアから観光団が本道にやってくる。中型客船だが乗員乗客合わせて200人ほどの上陸だ。観光地へのエクスカーションはもちろんだが多くのお客様がショッピングに興ずる。洋の東西を問わず海外旅行にはつきものの大事な楽しみと思う。
お土産選びは旅の途中の必須でもある。絵葉書・お酒・チョコレート・ブランドバッグが直ぐに頭に浮かぶ・・・・

ロシア人のお土産選びに接し自分が如何に凡庸でつまらない人間かを自覚することになった。
 お土産、ショッピングといってその範疇に「自動車」が入ることはそれまでの自分の人生になかった。初めての客船受け入れの時だった。エクスカーションで順調に行程を消化している時一人のロシア人観光客が申し訳なさそうに言った。「そこの角でチョット止めてもらえないか、5分だけで良いんだ、」何事かと思ったが、バスを止めた。中古車屋さんの前だった。

彼が足早に下車すると、なんと乗車していた全員が降りるではないか、皆が皆中古車屋に並んでいる車に殺到し始めた。驚いたのは私だけではない。中古車屋のオニイチャンが一番驚いている。さもありなん、観光バスがいきなり止まって団体でしかも外国人がやってきたのだ。ロシア人通訳とオニイチャンは大忙しだ!あっちだ、こっちだで5分どころか3時間も居たであろうか、厳しい値切り交渉が続いていたがとにかく売れた。特需だった。
翌日以降、お土産が小樽港の埠頭に続々到着する。搬送車で運ばれてくるもの、仮ナンバーでやってくるもの、埠頭はお土産のトヨタで埋め尽くされた。

最終日、35トンクレーンを傭車した。旅行会社としてそれまでいろいろな手配をしてきたがさすがにお土産にクレーンの発注は初めての経験だった。旅行会社から港湾運送事業者に変身してしまった瞬間でもある。
客船の甲板上は日本車で一杯だ。スペースが確保できない車は舷側に立てかけて並んでいる。自分の中で何かの価値観がひとつ確実に変わっていた。
1994年の秋だった。
その時の中古車屋オニイチャンは以来、ロシア人専門中古車ブローカーとして独立した。
そしてクレーンのリース屋さんには車吊り上げのための専用吊具が常備された。小樽港の港湾業務に新しい1ページが加わった年だった。
当社の本棚にもその時から旅行業法のとなりに中古車マガジン3誌と関税六法が備え付けられるようになった。
日本車の名前も小樽港ではいつのまにか違う呼び名になった、、、。
決して暗号ではない。参考までに書き添えよう。「マルクドゥバ」「ヒルクススルフ」「ヒエイス」「チャザア」「サムリチティリワダ」・・・・(わかるかな~?)
当時ロシア人観光客のお土産ベスト5であり、すべて日本のあるトップメーカーの車の名前である。

(回答はいずれ、、、)

次号予告!「驚愕“在庫5回転、北海道からある商品が消えた。」をお送りします。

Page top