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【ノマド|ロシアセクション】

旅のコラム

ロシアのウオッカ5

2009.03.15

誰がどんな風に、そして何故ウオッカを飲むのか?(その五)

ウオッカの歴史から(最終章)

 20世紀初頭のロシアでは、時に虐殺と略奪行為で終わるような動乱と革命が始まっていた。禁止措置に国民への対応策を求めた当時の権力者は、1904年から1905年の日露戦争当時にウオッカの販売に対し厳しい規制を行った。1914年8月2日に帝政ロシア政府は、「禁酒法」を制定した。この法律は、既に政権の座についていたソビエト政権によって1925年に廃止されるまで生き続けた。ソビエト時代はアルコール飲料の生産も販売も政府の独占であった。手元の資料によると、60年代では1リットルのアルコール飲料の原価は全部で2カペイカであり、売価は4ルーブル。この差額が全て国庫の収入となっていたのだ。
 1985年5月にゴルバチョフの時代になると、世に名高い「飲酒とアルコール中毒撲滅強化対策」が発効され、ソビエトの酒造業は壊滅的な打撃を受けることになった。5年後には、こんな不条理な決定が過ちであると認められたが、法律が生きていた間に大規模な葡萄農園の廃業が相次ぎ、多くのワインやウオッカ工場が閉鎖されたことで、酒造技術や酒造りの貴重な人材が失われた。この損失による影響は今に至るまで続いている。
 1992年6月7日にロシア連邦初代大統領エリツィンが、ウオッカの政府専売制度廃止に関する大統領令を発令した。その結果、ウオッカとは名ばかりの、品質の悪い健康を損ねるような商品が一挙に市場に出回るようになった。まがい物の横行はすさまじく、国庫収入も著しく低下したことで、わずか1年後の1993年6月11日に、今度は「アルコール飲料の生産、貯蔵、卸売り及び小売に関する国家専売の回復に関する」大統領令が新たに発効された。その後今日に至るまでアルコール類の製造と販売は、国の許可を持つ国有企業と私営企業により行われている。

今月のウオッカ/≪Московская особая≫
「モスコーフスカヤ アソーバヤ (モスクワの比類なきウオッカ)

 成分:エチルアルコール「ルックス」、特別な飲料水、重炭酸ナトリウム、食酢。
清涼な水の香りと柔らかな味わいが特徴。

生産工場: クリスタル
工場「クリスタル」の歴史
 1901年にアルコール製造と販売についての国家専売制度が導入されてすぐに、ロシアで最も大きく強力な事業としてヤウザ川(モスクワ北東部を流れる)河岸に、「モスクワ第一官営酒類醸造工場」(後のクリスタル工場)が造られた。この工場は「普通」、「ハイレベル」、「貴族」という3種類のウオッカを年間で60万樽(1樽=1ベドロ=12.3リットル)生産することを当初の予定として開業された。しかし工場の操業開始後わずか1週間で、この官営醸造所の品質の良いウオッカに注文が殺到し、増産が求められた。まず、高品質なウオッカ生産増大のために濾過装置の設備拡充が行われ、続いて、最高水準で精製されたワイン生産を目的として、醸造所全ての改築が行われた。
 このようにクリスタル社は、その歴史のはじめから時代の最新鋭の設備を持った大企業であり、何段階もの品質管理を行って良質な製品を送り出していたのである。1914年には、この工場の製品は前記の3種類のほかに、「モスコーフスカヤ アソーベンナヤ(モスクワの特別な)」、「フレーブナエ ヴィノ(穀物ワイン=ウオッカの別称)」、「スタローヴァエ ヴィノ(テーブルワイン)」、「ゴリルカ(ウオッカの別称)」、果実酒「ザペカンカ(香料入り果実酒)」となるほどに充実した。この中で、大化学者メンデレーエフが調合した「モスコーフスカヤ アソーベンナヤ(モスクワの特別な)」は、最も有名なロシアのウオッカと言えるだろう。
 1914年10月31日から戦争中は、「禁酒法」の発令により工場閉鎖が行われた。しかし、この禁止令は絶対的なものではなく、第一醸造所は軍隊や「国民の保健施設」での必要性からアルコール類の生産を行い、外国人や外交団、また同盟国フランスに対するアルコール類納入契約を遂行するためにワインを造り続けた。また、醸造所の一部では、アルコールを材料とする医薬品の生産も行われた。
 1925年からは、強いアルコール飲料の工場生産が再開された。「禁酒法」解除後に最初に世に出たウオッカは、当時の財務大臣ルィコフの名前から、「ルィコフカ」と一般に呼ばれた。
 1937年ソ連政府は、国内の全ウオッカ工場では全ての種類の製品が一本化された国内基準のレシピに従って生産されねばならないという指令を出した。これにより、「モスクワ第一官営酒類醸造工場」伝統の精留を2度行ったアルコール(「プリマ‐プリマ」印)からテーブルウオッカを造る方法が全国に広まって行った。またこの年には、強いリキュール類(シャルトルーヴ、ベネディクティン、キュラソー)や甘口のリキュール(ローズ、チョコレート、ヴァニラ)の販売も始まった。
 第2次大戦中の大祖国防衛戦争時には、工場は特別任務も遂行した。醸造所では普通の酒類の他に高濃度アルコールが生産され、それはウオッカの酒ビンに注がれて「モロトフのカクテル」(注:火炎瓶のこと。スターリンの側近であったモロトフの名をとって、こう呼ばれている)として出荷された。
 最上級ウオッカ醸造マイスターのスヴィリルが調合した有名なウオッカ「スタリーチナヤ(首都のウオッカ)」は、1953年にこの工場から世に出た
そして翌1954年には「スタリーチナヤ」がシャドーティスティングで、かの有名なスミルノフに打ち勝つという快挙が行われて、このウオッカは世界的な名声を得ることとなった。

最も有名な「クリスタル」工場のウオッカ
「スターラヤ モスクヴァ(古きモスクワ)」
「クリスターリナヤ (水晶の)」
「モスコーフスカヤ アソーバヤ (モスクワの比類なき)」
「プラズラーチナヤ (透明な)」
「パソーリスカヤ (大使の)
「ザラトエ カリツォ (黄金のリング)」
「プチンカ クラシーチェスカヤ (クラッシック)」
「プラーズニチナヤ (祭日の)」
「プシェニーチナヤ (小麦の)」
「プリヴェット (あいさつ)」
「メダリ(メダル)」
「イヴァン カリタ」
「ユーリー ドルガルーキ」
「プチンカ ケドロヴァヤ(松の実の)
「メダリ ケドロヴァヤ(メダル、松の実の)
「エタロン(標準器)」
「エタロン ベリョーザヴァヤ(白樺の)」
「エタロン ケドロ (松の実の)」

ロシア式アウトドアクッキング - タイガクッキング

タイガで狩猟や魚釣りを行うときに、ロシア人はどんな食事をするのかという質問に答えて。

 タイガクッキングの歴史は長く、シベリアや極東に住む様々な民族が作る料理の影響を受けている。厳しい気候条件と自然環境の地で、栽培される植物も限られていることから、少ない食材での簡単な調理がタイガクッキングの基本である。タイガや森に猟に出かけるということは、数週間、時には数ヶ月もそこで暮らすことを意味する。だが、自力で全ての荷物を運ぶ必要があるため猟師たちは充分な食料を持ってタイガに入ることは不可能である。馬に荷を運ばせることがタイガではできない。そこには飼料はないし、猛獣に馬が襲われる危険もある。一緒に行くのは、せいぜい一匹か二匹の犬だけ。森の小動物を自分で捕まえたり、猟師がしとめた毛皮獣を食べたりする犬は、タイガでも自分で何とか食べていく。
そんなわけで猟師のリュックに詰められるのは、塩、コショウ、ベイリーフ、紅茶、砂糖と少量の穀物 (蕎麦の実、ひき割り小麦、米、それら穀類の粉)と夏にはジャガイモがせいぜいである。これだけの材料では食事は極めて単調で、頼みの綱は、野鳥や小動物などの狩りの獲物だけである。
 現代では、ヘリコプターや高性能車などの輸送手段を使って、あらかじめ漁撈や狩猟のシーズン前に食料をタイガに投げ込んでおくことが可能である。とはいっても、現代でも食べ物の種類は100年前とそう違ってはいない。タイガへ、オレンジやスイカまで持ち込む人を見かけることがあるが、これは本当のタイガ人から見ると、ほとんど犯罪行為である。タイガに入ることができるのは、周りに何も食べられるものが無い時でも自分で食用になるものを探し出して調理し、最小限の食料品で何とかまかないながら熾烈な自然環境で長期間暮らすことができる人だけである。
 では、タイガでの食事の話題に移るとしよう。
 タイガでは食事はおおむね2回である。朝の、たっぷりとした朝食と、夕方の、ふんだんな夕食。紅茶と前夜の残り物の全てが朝食。夕食は一鍋の料理であるが栄養豊富で、満腹できる量だ。食事の最後は、砂糖をいれた濃い紅茶か、何か甘いもの。このタイガで飲むお茶はものすごく濃く、慣れていない人は吐き気を催すほどに渋い。

アウトドアクッキングのレシピ

【魚のラグー (ラグー:香辛料をきかせた蒸し煮の料理)】

活きの良い魚で作る。食材の量は食べる人数によって決める。
材料:
・ 魚はどんな種類でも良いが、小骨の少ないイワナ、イトウやマス類などが
適している
・塩
・コショウ
・タマネギ
・植物オイル(ヒマワリ、マメ、オリーブなど)
大鍋を使用。

 魚は内臓を取る。大きな魚を使うときには適当に切るが、頭と尾、ひれは、良い出汁が取れるので必ず残しておく。ジャガイモは皮をむき、5ミリ以下に薄切りにする。タマネギの皮をむき、リング状に薄切りにする。鍋の底に、全体に行き渡る程度の少量の油を引く。鍋の底を覆うように、一面にタマネギを敷いていく。
次に、同じようにジャガイモを敷き詰める。その上に、魚を置く。タマネギ、ジャガイモ、魚を順に繰り返して層を作っていく。塩とコショウは好みの量で加える。
材料全部が鍋に入ったら蓋をして火にかけ、蒸し煮する。魚から水分が出るので水を加える必要は無い。30から40分程で出来上がる。かき混ぜたりせず、煮あがるまでは、なるべく蓋を開けないようにする。ジャガイモに火が通るかどうかで調理時間が決まるので、ジャガイモは、必ず薄切りにする。

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