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RUSSIA SECTION

【ノマド|ロシアセクション】

旅のコラム

札幌・ノボシビルスク友好交流協会

2009.10.06

札幌・ノボシビルスク友好交流協会会長 千葉裕子様/シベリア通信~No.17~

トピックス 日本語夏季集中講座

 第6回の集中講座が8月3日から3週間行われた。札幌姉妹都市協会の助成金が出て、本年も見延明喜子先生が小樽市から来て下さった。この3週間、天候は冷涼で過ごしよい夏であったが、一方では冷夏で畑作物が不作であった。学習者は募集人員30人のところ43人の応募であったが全員を受け入れた。なんといってもセンターとしては重要な現金収入源であるから。本年は不況の影響で出足が鈍く、当初は心配していたが良かったことであった。

トピックス シベリアの寿司 本当にしっかりと握ります

 9月8日から3日間、シベリア見本市でレストラン、ホテル向けの催事があった。私は寿司部門の審査員として参加した。センターの副館長のイリーナさんと「今日はおなか一杯、お寿司を食べましょう」と張り切って出かけた。寿司部門参加の調理師は11人。一店舗を除いて、あとはモスクワ資本。審査員は私を入れて3人。ひと皿に刺身、巻き寿司、握りを盛り付ける。市内に沢山ある寿司レストランからの参加者であるから選り抜きの調理師と考えた。
 以下、私の疑問点
① どうして、寿司ねたの中に山葵を入れないのか。どうして山葵を醤油に入れてつけるのか。  答え:ロシア人は辛いものが苦手なのです。
② どうして、あんなに、ぎっしりとご飯を握りこむのか。5個も食べるとおなかが一杯になる。
③ どうして、巻き寿司に海苔を巻き込んでしまうのか。海苔の香りが飛んでしまう。
  答え:全体的にロシア人には香りの文化が低い。
④ どうして、鰻の蒲焼の味を残さずに皮を剥いて身の部分のみを使用するのか。市内では最近、蒲焼に人気が出てなかなか売れ行きが良い。それなのに、あのたれが味として使われていない。
⑤ どうして、サラダ菜やルッコラの上に刺身を置くのか。 答え:海草の変わりなのかも知れない。
⑥ どうして、刺身の姿造りなのに頭と尻尾が違う魚なのか。鯛の刺身であったのに鱒の頭と尻尾であった。
⑦ もう一つの姿造りについてきた頭が血だらけとは。生の鮭を一尾おろした時に、洗わずに付けたのかもしれない。理解出来ない。
⑧ 一皿盛とはいえ、空間がなく盛り付けられている。食器に対する配慮がない。
⑨ なぜかご飯に酢の味が残っていたのは一人の作品だけであった。
   答え:酢と山葵の効用を理解していない。
審査に入って、総監督のパバロッテイそっくりの大コック長が加わった。ユーモアがあって楽しいが、おしゃべりばかりでさっぱり仕事が進まない。寿司部門の審査委員のチーフは醤油を使わなかった。醤油を使うと材料の味が見えなくなると言う。プロである。トムスクからの日本料理店のチーフはやたらと威張り散らして、そっくり返って歩く。が、お箸はつつくものと心得ていて、使用できない。
 この3人とも、共通点があった。いずれも白人系のロシア人ではない。イリーナさんによると総監督はユダヤ人、我々の寿司部門のチーフは中央アジア系。威張っていたトムスクの人はタタール系。と出た。
なにしろ11皿の寿司を味見するのだから途中から「もう、入らない」。だからと言って「すし」と云うものを食べないわけにはいかないから苦痛ではあった。
今回の生寿司のねたはサーモン、赤みの鮪、烏賊、鯛。蟹の足、海老、一件を除いて総ては冷凍。包丁も2年前と比較すると切れ味も良くなり、材料の扱いも手袋をはめて、キッチンペーパーも上手に使っていた。技術が向上していることは明らかであった。が、私の種々の意見にチーフは「実はロシアにはグルメなんていないんだ。安くて沢山食べられればそれで良いのだ」と。真面目な顔をして言った。
今回の参加者に、昨年、日本に修学旅行に行ったアレクセイが出場した。彼の鯛の刺身は薄く切れていてきれいであったが、頭と尻尾が鱒であったとは!!

トピックス よさこいソーラン について

 7月中の情報をシベリア通信16号でお知らせした。この折、順調に出発したように思えたがその後は難航した。第一に「平岸天神」が芸能プロであると言う認識が千葉に無かった。先方との何回かのメール交換で千葉がそれを理解したのが8月中旬。この頃、日本語教師の見延明喜子先生が当地にご滞在中であったので、先生の帰国後に別の窓口でお骨折りいただくこととなった。
しかし、こちらの苦衷を察した札幌市国際部から救いの手が差し伸べられた。その結果、札幌市とノボシビルスクの市役所の机上にのった。これが日本の9月の連休のさ中であった。この間、見延先生からは情報と共に「みんなでおどろう!YOSAKOIソーラン!~どっこいしょ&おかみさんソ~ラン」のDVDが送られてきた。
今後は両市間でのプロジェクトとして、開催の方向に進むことになった。当協会としては、大きな声で走り回っただけであったが、大船に乗ったプロジェクトに満足してよいと考えている。今期の活動項目の一つがこのような形で終了したことをお知らせする。

トピックス ピアノの件

 これも本年の活動項目である。会員の方から援助のお声をかけていただいたことに千葉は力を得て、強硬作戦に出た。以下は千葉の書いた“初めての最後の恋文”である。原文のまま掲載するのはこれ以上は書けないからである。
 結果から言うと、ご返事をいただくことが出来なかった。第二次案として、会員、購読者3800人の雑誌にエッセイとして掲載することとした。ここでの会員構成は高齢者なので、なにかの手がかりがあると嬉しいのだが。協会の中から良いご提案があったら嬉しい。

トピックス 嬉しい悲鳴

 本年9月からのセンターの日本語講座の受講者が昨年の2倍になった。250人+α=270人位。このαは、2年後、日本国開催の建築学会参加予定の市内の建築関係の業者である。夏以来、電話での問い合わせが激増して、それに備えて先生も新卒者4人を加えて準備した。
説明会の9月11日、副館長のイリーナ・プーリックさんとホールの入り口で深呼吸して突入。息が詰まった。壁ぎっしりの人波であった。また、9月24日締め切りの「日本語能力試験」主催:国際交流基金の受験者も本年は25%増の360人。当地ではマイナー言語である日本語学習者がこの不景気の中増加しているのは何なのか。センターでは首を傾げているところである。

トピックス センター副館長イリーナ・プーリック氏の一年間の日本滞在

 イリーナ・プーリック氏は国際交流基金のプログラムに合格して、政治政策研究大学院大学の院生として9月27日出発した。CIS圏からのただ一人の合格者であった。一年間で日本の修士を取得するプログラムである。この間、氏の席は代理を置いて氏の帰国を待つこととなった。
センターとしては来年の姉妹都市提携20周年記念を控えて大きな痛手ではあるが、この人材は今後とも手放せない。涙と共にイリーナ氏を見送った。

みじかい秋

 本日、10月1日から私のアパートにも暖房が入った。周囲の木々が黄葉し、地下鉄駅のドアを開けると下方から暖かい空気が上がってくる。短い秋があと数日続いて、そして去ろうとしている。

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