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【ノマド|ロシアセクション】

旅のコラム

第34話 日露衝突前夜!

2009.12.13

某国営放送のスペシャル番組作成のために観光ついでにエキストラの一人としてロシア極東から友人を呼んだ。
年齢はずいぶん上だが、古くからの友人で博学多才。演劇にも造詣が深く、ソ連時代とロシア時代の二つの時代を半分くらいづつ生きた友人だ。

久しぶりに一緒にサウナへ行って、しっかり汗を流し、うまいビールを飲んだ。
製作する番組が日露戦争当時のことでもあり、自然と軍隊の話になった。
彼がソ連時代技術将校として極東各地に赴任した軍歴があることをこの時初めて知った。ソ連軍裏話をいくつか聞かせていただいた。

戦車・・・・。
 ソ連・ロシアはご承知の通り地政学的に陸軍国家と言える。そこでソ連時代の戦術は「広大な面」に対し出来るだけ短時間に、且つ密度の高い制圧を目的としていた。その戦術を支えるのが戦車だ。(イメージとしては、長大な国境線に膨大な数の戦車をズラリ並べて一気になだれ込む。である。)
計画経済でのすべての生産活動はコスト無視で大規模なことが出来たらしく、あわせて軍事国家、先軍思想はすべての経済活動に優先し、国営企業すべてが有事即応型で組織されていた。
 列車の台車を製造する国営企業があった。平時1日1台の台車製造をノルマとして稼働している工場である。戦時態勢となるとこの企業はあっと言う間に戦車製造会社に変身する。変身後の生産能力は1日60輌の完成車を連続して出荷し続けることが出来るとのことだ。1か月で1工場1,800輌である。(何か所の工場があったのかを聞くのを忘れたが、少なくとも一桁でないことは間違いない。)
 この膨大な生産量を維持する物流ラインも確保されていて、こと軍事なると「混乱するソ連」とかのキーワードはまったく当てはまらなかったそうだ。そして、なぜこんな膨大な数の戦車を製造をしなければならないのかといったことも語られた。当時の軍の計算では戦闘時戦車寿命は「1日半」であったそうだ。(確か戦車は4人乗り…。搭乗員のことは語られなかった。)

油・・・・。
 ソ連時代、択捉島に戦闘機部隊が展開していた。米軍の侵攻に対し空の最前線の位置づけだったらしい。しかしながらソ連にとっても択捉は極東の離島。基地の燃料備蓄量は極めて僅少で全力出撃1回分のみ。1機当たりの燃料はなんとたったの40分だったそうだ。もちろん洋上戦闘なので基地への帰投など全く考えられない。スクランブル、燃料切れ、即墜落!である。脱出装置はある。そしてヘリコプターによる救助回収は想定されていた。しかしオホーツク海の海水温度は低く、生存時間は当時最大20分と想定されていた。救難基地から防空識別圏まではヘリで2時間だそうダ。戦闘機搭乗員は皆そのことを知っていた。

今週末から撮影に入る。日露戦争当時の日ロ激突の場面だ。日本人エキストラの無事と弥栄を祈りたい。

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