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2011.01.03
はじめてのネパール(26年前のお話)その3
今ではこのトリスリバザールから歩き始めるトレッカーはほとんど皆無だろう。なぜなら当時、徒歩で丸2日分の行程を、今なら数時間、車の移動で済むからだ。当時も車道は存在したが乗合パスの類は少なく、ランタン・トレッキングの歩き出しはトリスリバザールが常識であった。
 のどかな農村風景の中を数時間歩くと「ベトラワチ」という、へんてこりんで一度覚えたら忘れない名前の村に着く。モハンは「腹が減ったので昼飯を食おう」と言って、さっさと道ばたの食堂に入っていった。
 昼飯は生まれて初めての国民的ネパール定食「ダルバート」だ。「ダルバート」はステンレスの仕切り皿(キャンプで使うやつみたいなのだが、日本にはありそうでお目にかかれない)にライス(インディカ米なので細長く粘り気は少ない、かといってさらさらしたのでなく、独特の炊き方によってある程度粘着感がある)、タルカリと呼ばれるカレー味の野菜(ジャガイモ、ニンジンなど根菜とカリフラワー、インゲン、青菜などを煮たもの)、ダル(大豆)スープ、そしてちょっぴりアチヤール(ピクルスみたいな漬物)で構成される。基本形は上記のようなもので、あとはその店、その家庭によって好きなようにアレンジされている。
 マス(肉)が加われば高級な部類に入る。マスで一般的なのは、クカラ・コ・マス(鶏・の・肉)だ。日本で栽培されている運動不足のブロイラーと違い、肉そのものに濃厚な味がある。またそれらが産み落とす鶏卵の味も濃厚で、日本のスーパーで、売っている黄身の色が不自然に黄色いのではなく、卵黄が白っぽい。他の種類の肉はあまりお目にかからないが、ベイシ・コ・マス(水牛・の・肉)、ベラ・コ・マス(山羊・の・肉)などが一般的。牛は神様だから牛肉は存在しない。
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 さて、生まれて初めて食べたダルバートの味はまあまあだったが、噂には聞いていたがその辛さは想像を絶する程のものだ。普通外国人ツーリストに対しては、言わなくても辛さは控えめにするようだが、どう言う訳かそのとき自分に対しては全く手加減がなかったようだ。自分もいい気になって根拠もなく「オレは大丈夫だ」と信じていたので、体中の毛穴から大量の発汗が押さえきれないにもかかわらず、努めて平静を装っていたが、どうにも我慢の限界がやってきて、「水は絶対飲むな!」の忠告を無視して、テーブルの上に無造作に置かれた水をガブガブ飲んでしまった。普通ネパールにやってきた外国人の場合、飲み水は必ずミネラルウォータを買うか、或いはきちんと煮沸したものでなければ危なくて飲めない。単純に下痢で済めばまだ可愛いほうだが、赤痢やコレラ、運が悪いとA型肝炎に感染する危険が大きい。
 自分はまた根拠もなく「オレは大丈夫だ!」と決めていたから、生水を一度飲んでしまったら妙な自信がついてしまい、その後も至る所まるで日本で水道水を飲むように、全く遠慮なく生水を飲み続けた。
その後の恐ろしい結末は …..to be continued

2011.01.01
はじめてのネパール(26年前のお話) その1
なんとか「ストーンハウスロッジ」に辿りついたが、精神的なプレッシャーから部屋の外に出ることは非常に勇気の要ることだった。部屋の外に出ればホテルのオヤジやお兄ちゃん達、掃除のおっさんも会う人間全部が隙あれば騙してやろうという悪意に満ちた表情に見えてしまい、また、通りに出れば擦れ違う人間に誰ひとり信用できる者は居ないように思えた。
なぜかすべての人間が自分の様子を注意深く窺っているようで、自分は下着の内側、胸のあたりに母親が丈夫な生地で、作ってくれた首からつるす貴重品袋の中に、いつでもパスポートと数枚の百ドル札が無事存在している事を確かめて辛うじて安心しているのだった。
「騙されるな!」「値切る事を忘れるな!」当時18歳の大学1年生で、山岳部に入っていた私のまわりに居る先輩達は、自分のネパール体験談を締めくくるときにはいつも、まことしやかに、ネパールという国はとても面白い所だが、悪い奴も多いところで、学生=貧乏旅行が当たり前の我々は常に自己防衛が必要で、のろい奴は騙されて酷い目に遭うから、お前は特にトロいから十分気をつけろ!、というようなアドバイスとも脅しとも取れる事を話して、これから未知の世界に旅立とうとしている後輩を面白半分に扱っているようだった。
1983年当時日本からネパールへ行くには、たいていバンコクを経由して行くのだが、成田=バンコクはかの有名なPIA、パキスタン航空がバックパッカー御用達航空御三家のうち最も人気の高いキャリアだった。因みにあとのふたつはエジプト航空とインド航空だ。北海道のド田舎から出てきた若者にとって、成田空港そのものが驚異の世界だったし、まさか自分がそこから外国へ旅立つとは、なんて大それた事を自分はやってしまっているのだろう、と後悔と不安と興奮とでほとんど3日前から不眠症に陥っていた。バンコクのドムアン空港では、マニュアル通り(?)出発ロビーのベンチで一夜を明かし、翌日なんとかカトマンズのトリブパン空港に辿りついた。
空港から市内まではパスで行け!というほとんど呪文のように自分の頭の中にインプットされていた言葉通り、追り来るタクシーの客引きをかたくなに拒否し、空港敷地内の一角に停車しているぼろぼろの乗合パスに飛び乗った。今考えればパスで市内へ行く人なんて観光客には皆無だし、たとえ吹っかけられていたとしても大した金額ではないのに、なぜあれほど倹約に力を注いでいたのか、とても不思議である。
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そしてこれまた呪文のような「カトマンズではストーンハウスロッジに泊まれ!」という言葉を唯一の選択肢として、迫り来るホテルの客引きを全て無視して夢遊病患者のように「ストーンハウス、ストーンハウス・・・」と肱きながら無事ストーンハウスロッジにチェックインしたのだった。数種類ある部屋タイプのうち当然のように一番安い部屋を希望したが、あいにく満室でシングルしか空いていないというので、仕方なくシングルに泊まることになる。そして冒頭のようなカトマンズの生活が始まったのだ。
山登りをかじる者なら大半の人は、一度はあのヒマラヤ山脈を自分の目で見てみたいと願い、出きれば自分の足で登ってみたいと考えるだろう。当時はすでに「トレッキング」という言葉が定着し、世界中からネパールの山村へハイカーが訪れていた。それらの旅行者のために様々な便宜を図るエージェントも存在し、カトマンズ市内には大小様々な会社が軒を連ねていた。
自分の目的もご多分に漏れず「トレッキング」であり、単なる観光客と一線を画すことにささやかながら優越感を持っていた。「一人でも歩けるから」という先輩達の言葉をよそに元来臆病者の私は、こんな国でしかも何が出てくるか分からない山の中を一人で歩くなんてとても出来ないので、ガイドを見つける事にした。
もう名前も忘れてしまったが、路地裏のような寂しいところに小さな事務所を構える、自称トレッキング会社を訪ね、ランタン・コースに行きたいこと、極力節約したいことを言って費用を交渉する。最初2週間で600ドルくらいと言われたが、もとより自分の財布の中にそんな金があるわけなく、ガイド1人だけでいいからということで最終的に100ドルになった。一体どういう料金システムになってるのか疑問だったが、まずはガイドが確保できたので、明朝の待ち合わせを約束し別れた。        ⇒つづく   (HAYA)

0201.01.02
はじめてのネパール(26年前のお話) その2
タメルの北からトリスリ・バザールへの乗合パスが出る。モハン・タクリという名のガイドと一緒にパスに乗り込んだが、彼の席はなく仕方ないので屋根の上に乗ると言う。唯一頼りのガイドが傍に居ないのは不安だったが、やむを得ず出発。
 がたがたの峠道カカニの丘を越えて行く。パスはやがて当たり前のように故障し、ストップしたが、乗客は降りて歩く人、ぼけっと修理を待つ人など、別に特別なことではないようだった。
  ・・・しかし私は焦った。ガイドの姿が見えないのである。
 「騙された!」 やっぱり!
絶望的な気分で今後のことを考えるが、パニックとなった頭の中では何の考えも浮かばず、走り出したパスの中で泣き出しそうな気持ちのまま終点であるトリスリバザールに到着した。
トリスリバザールは結構大きな町だ。
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パスを降りた私は絶望的な気分のまま、これからどうやってカトマンズへ引き返そうか、と言う事だけで頭の中がいっぱいだった。もともと小心者なので、こういう局面では気持ちが自然とネガティブな方向へ進んでしまう。
 自分のまわりには訳の分からない色んな人々がせわしなく行き交い、自分の存在はまったく無視されている反面、時々好奇の自に晒されたりする。
 そこに自分の居場所はなく、しばらく立ち尽くしたまま呆然としていたら、・・・
  不意にモハンが現れた。彼には全然悪気は無いみたいだが、しかし自分はほっとするやら、腹立たしいやらで「何処に居たんだ?困るではないか!」という意味の事を貧弱な英語で詰め寄った、つもりだったが、彼は意に介さず何やら誰かと談笑している。
 訳のわからないまま、いよいよトレッキングの始まりだ。
 カトマンズの喧騒は無意識に自分を緊張状態の中に追い込めていたが、ここトリスリバザールはのどかな農村の雰囲気に満ちている。村を出てぶらぶら歩き出すと、1月というのに暑いくらいの日差しも手伝って、気分は晴れ晴れとしてくる。
 今ではこのトリスリバザールから歩き始めるトレッカーはほとんど皆無だろう。
 なぜなら当時、徒歩で丸2日分の行程を、今なら数時間、車の移動で済むからだ。当時も車道は存在したが乗合パスの類は少なく、ランタン・トレッキングの歩き出しはトリスリバザールが常識であった。 (HAYA)
                             ⇒懲りずに、つづく

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